nonameのノート

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人間不信が生み出す学びの原動力

※本記事は著者の実体験に基づくメモ書きを参照させてAIに生成させましたが、事実に反すると著者が判断した箇所は修正を施しています。


私たちは何か新しい知識や技術を身に着けようとするとき、そのきっかけとして、しばしば「好奇心」だけに目を向けがちです。もちろん、未知への興味や楽しさから学びを始めるのは自然なことです。

しかし実際には、「人間不信」も学びの大きな原動力となる場合があるのではないでしょうか。

「他人に任せきりにはできない」「だまされるかもしれない」という思いが強いほど、疑念を払拭するために、あえて自分で知識・技術を身につけようとする、自分で理解しようとする、そうした意欲が高まるかもしれません。

以下では、私の経験を通じて、人間不信が学びの動機となった実例を紹介します。

ファイナンシャル・プランナーと不信感

私が 2 級ファイナンシャル・プランニング技能士の資格を取得したのも、もともとはファイナンシャル・プランナーに対する不信感がきっかけでした。

家計やこれからのライフイベントへのアドバイスにいまひとつ納得できなかったり、保険の営業をしつこくされて嫌な思いをしたりしたことがあったのです(ファイナンシャル・プランニング技能士の資格だけでは保険を売りつけることはできないので保険募集人の資格もお持ちだったとは思います)。

この資格を持っていれば、これから自分の判断力が衰えたときでも、「ファイナンシャル・プランニング技能士の資格は持っています」と言ったり、合格証書を壁に飾って見せたりすれば、でたらめなアドバイスや不必要な営業を自然と回避できるかもしれないと、そのような“厄除け”の効果を期待したのです。

IT と目に見えない不信感

同様に、私は IT 系の資格もいくつか取得しています。

これは「電磁的記録」やプログラムなど、目には直接見えないデータや技術を扱う人たちが実際に何をしているのか、素人目には分かりにくいという不安があったからです。

もちろんコンピューターやビデオゲームが好きで勉強していた面もありますが、「よくわからないものを扱っている人が本当に信頼できるのか」という人間不信も少なからず学びの動機になっていました。

メガネ作りをめぐる不信感

最近、新しいメガネを作ろうとして「眼鏡作成技能士」という国家資格を持つ店員がいる店を探したことが、その人間不信の原点を改めて思い出すきっかけになりました。

というのも、実家を離れ、長年通い慣れたメガネ店から別の店に行った際、まったく度数の合わないレンズを作られて、新しいメガネをかけてしばらくすると気分が悪くなってしまうという失敗を経験したことがあったのです。

メガネ店なら最適なレンズを用意してくれるのが当たり前、と私は信じて疑っていませんでしたが、それができない店員も存在する現実を知り、一気に不信感を抱くようになりました。

一度の失敗だけならまだしも、何度か店を変えても同じような不信感を覚える出来事が重なり、「店員ごとの技量や誠実さには差があるのでは」という疑念が確信に変わったのです。

そんなとき、「眼鏡作成技能士」という国家資格を見つけました(はてなブックマークの「[B! 眼鏡] メガネをいろいろ作ってみた感想」で見つけました)。

「資格を持つ人なら大丈夫かもしれない」と思った反面、「相手も人間だから学んだことを忘れるかもしれないし、自分自身が学んだほうが安心ではないか」という考えまで頭をよぎったのです。

もっとも、すべての知識を自分で身につけるには、それなりの時間がかかり現実的ではないと考えたため、今の私はそこまでは踏み込んでいません。

人間不信からの学び

このように振り返ってみると、私が知識や資格を増やしてきた背景には、「不安」や「人間不信」が意外と大きな要因として作用していたことに気づきます。

もし人をまったく疑うことなく盲信できたならば、わざわざ自分で学ぶ必要はありませんでした。

しかし実際には、他人の力量や誠実さを測りかねて不安になることがあり、それを解消したいという思いが新たな学びにつながることがあったのです。

人間不信は一見ネガティブな感情ですが、そこから生まれる行動力もあるのだと感じます。

もちろん、他人をまったく信用できないほどの疑いは行き過ぎですが、不安や失敗があるからこそ、必要最小限の知識を自分で手に入れたいと考えるのは自然です。

こうした面を考えると、「自分がもっと知りたい」という好奇心だけではなく、「人に任せきりにはできない」という不信感も、より強い学びの原動力になり得るのかもしれません。